浜松八幡宮の歴史

  • 千三百年の歴史を刻む「浜松八幡宮」

    千三百年の歴史を刻む「浜松八幡宮」

    徳川家康をはじめ、代々将軍の開運の地として古くから崇められてきた浜松八幡宮。

    そんな歴史から「ここで挙式すると幸せになれる」という言い伝えが広まり、「縁結びの神」として地元の人々から愛され続けてきました。

    なかには、その言い伝えにあやかり、親子三代にわたり挙式する人も多いという。

    ここには、由緒ある史実と人々に愛され続けた歴史がある。

  • 代々の将軍が「武運長久」を祈願した地

    代々の将軍が「武運長久」を祈願した地

    浜松八幡宮は、仁徳天皇が遠淡海の海運安穏のため、海の神である玉依姫梅(たまよりひめのみこと)を許部の里(現在の浜松市中区小沢渡町)に歓請した許部神社がその始まりとされている。

    その後、天慶元年(938年)に現在地に遷座されたが、その折り白狐が老婆の姿となって「浜の松」を移し植えたことから「浜松」の地名と成ったと伝えられている。

    浜松八幡宮は、古くから武家の信仰が篤く、永承6年(1051年)源義家(八幡太郎義経)が睦奥への出陣の際に、浜松八幡宮に参龍し、源氏の氏神である八幡神社を喜び、歌を詠み、社殿前の楠の下に旗を立て、武運長久を祈願したとの伝承が有ることでも有名である。

  • 千三百年の歴史を刻む「浜松八幡宮」

    「雲立の楠(クモタチノクスノキ)」の由来

    元亀元年(1570年)には、徳川家康公が居城を岡崎城から浜松城に移して以来、源頼家の東征我祈願の由緒があり、さらに浜松城の鬼門鎮守の氏神である浜松八幡宮を祈願所として幾度となく参拝しており、武運長久を祈ったと伝えられている。

    元亀3年12月(1572年)、三方ヶ原合戦に敗れた家康公は、天林寺に入り、義俊和尚の案内で浜松八幡宮へと逃れ、社殿前の楠の洞穴に潜み、武田軍勢の追ってから逃れて武運を祈願したと言われている。

    家康公が祈願すると楠の上に端運が立ち昇り、神霊が白馬に跨って浜松城の方向へ飛び立った。

    家康公はこれを見て「戦われに利あるべし」と勇躍し、無事に浜松城に戻ると武田軍勢の浜松入城を防いだといわれる。

    この事から、社殿前の楠(御旗の楠)を「雲立の楠」と称する様になったと伝えられている。

  • 千三百年の歴史を刻む「浜松八幡宮」

    開運の地として続く祈願所「浜松八幡宮」

    その後も天正14年(1586年)に居城を駿府城に移すまで、家康公は浜松八幡宮を祈願所として、旗、神馬を奉納したという。

    家康公が征夷大将軍に任ぜられて、江戸に幕府を開くと、五十石の朱印地を与えられている。

    これは江戸時代を通じて変わることがなかった。

よくあるご質問

  • 友人も参列できますか?
    はい。100名様まで神殿内の参列が可能です。
  • 白無垢以外の衣裳でも挙式できますか?
    はい。色内掛け、引き振袖などお好みの衣裳で挙式を挙げていただけます。
  • 冬の結婚式なので、緑(みどり)があるか心配です。
    ご安心ください。神宮に生える木々は基本的に常緑樹になりますので、1年中、緑をお楽しみいただけます。
  • どんな行事がありますか?
    歳旦祭、元始祭、焼納祭、追儺式、節分祭、祈年祭・建国祭、浜松稲荷神社 初午祭(例祭)、入学祭、東照宮 例祭、昭和祭、浜松まつり初児祈願祭、大祓 茅の輪神事、浜垢離 夕祭、大祭 神輿渡御 放生会 居祭(例祭)、新嘗祭、天長祭、大祓 除夜祭、月次祭などの行事がございます。
    詳しくは、こちらをご覧ください。
  • 追儺式(ついなしき)とは何ですか?
    追儺(ついな)とは、大晦日(12月30日 (旧暦))の宮中の年中行事で、平安時代の初期頃から行われている鬼払いの儀式になります。「鬼やらい」、「儺(な)やらい」とも呼ばれてます。追儺はもともと中国の行事で、宮廷の年中行事となり、現在の節分の元となった行事になります。